ご本尊と諸仏

本法寺の諸仏像

御本尊・諸仏像・法輪扁額

本法寺の本尊写真

釈 尊 像     一体 座像合掌印 (総高 90㎝ 厨子入 98×43×34㎝)
日蓮聖人祖師像 一体 説法像  (総高 60㎝)
十 界 墨 茶 羅    一幅
文 殊 菩 薩 像    一体 座像 (66㎝)
普 賢 菩 薩 像    一体 座像 (66㎝)
不 動 明 王 像    一体 座像 (58㎝)
愛 染 明 王 像    一体 座像 (58㎝)
四 天 王 像    一体 立像 (55㎝)
観 音 菩 薩 像    一体 立像 (30㎝)
木 彫 扁 額
観 世 音 像    一額 (縦135㎝ 横60㎝)
法 輪 扇 額    一額


本法寺には御本尊および諸仏像などが安置されています、その意義をわかりやすく説明します。

 

▼釈尊像(しやくそんぞう)
日本・中国における釈迦牟尼の尊称であり仏教の開祖の人であることは、皆様もよくご存じのとおりです。この釈迦の教えは、人間の生きる道を明らかにしたものであり、この道をダルマ(daruma法)と呼んでいます。人生の苦しみから脱し、迷いの生存(輪廻-りんね)を断ち切って自由の境地に至る。それが解脱(げだつ)であって浬梁(ねはん)という。そのためにその関係性(縁起-えんき)を明らかにしようとしました。
その実践として、道徳的に悪い行為をせず、生活を清める。それは八正道(八つの支分からなる聖なる道の意)の実践であり、中道(相互に矛盾対立する二つの極端な立場のどれかからも離れた自由の実践のこと、二つの矛盾対立を超えること)を意味する。これが釈尊の教えです。

 

▼十界受芥羅(じっかいまんだら)
日蓮聖人が、一幅の紙面に書きあらわしたこの十界曼茶羅は、日蓮宗の御本尊である。軸の中央に南無妙法蓮華経と独特の書風で大書し、私たちの帰依すべき教主釈尊の広大無辺な慈悲(じひ)の世界を示し、南無妙法蓮華経と書かれた両側に、南無釈迦牟尼仏と南無多宝如来を配し、以下十界すなわち仏界から地獄界までの十界がすべて釈尊と法華経の救いに包まれているありのさまを御本尊として描いています。

 

▼日蓮聖人祖師像(そしぞう)
日蓮聖人は、日蓮宗祖師の人であることは、誰でもよく知っています。
日蓮聖人は、承久四年 安房国(千葉県安房郡)小湊で漁夫の子として生まれ、十二歳のとき天台宗清澄寺(のちに日蓮宗清澄寺)に預けられ、十六歳のとき出家し是聖房と名のりました。翌年鎌倉に遊学、ついで比叡山(ひえいざん)に十年間にわったて留学、天台宗法華経学を習得し、改めて独自の法華経観による仏教体系を樹立しました。
この期に習得したものは、一元的現実肯定的な天台本覚思想で、そこから二元論的現実否定的な法然の浄土念仏に批判を加えたため故郷を追われました。鎌倉に来て布教を開始、名も日蓮と改めました。
その後、各地に天災地変、社会不安が続出したのですが、日蓮聖人は法華経の統一的真理(一乗妙法)によって、仏教界、一般思想界を是正統一し協力体制を敷き、また正しい政治理念を確立するため「守護国家論」のちに「立正安国論」を、当時の実力者で前執権の北条時頼に進呈しました。
しかし、日蓮聖人の進言は聞きいれられず、逆に伊豆に流罪になりました。その後佐渡流罪になるまで、たびたび迫害や弾圧をうけました。その結果、日蓮聖人は現実肯定から現実対決と転じ、世界の浄土化を志すようになり、浄土国土に努める忍難殉教の菩薩としての自覚を深めるようになりました。
 受難に対する考察から、進んで人生、人間についても考察を深めていきました。未来にそなえて教理として、本門の本尊、戒壇、題目の三大要素(三大妙法)をかためたのです。
このように日蓮聖人の宗教思想は、法開顕の書と云われた「観心本尊抄」、法華経が他の諸経より勝れていることを説明した「開目抄」、前に述べた「立正安国論」の三大書が、日蓮聖人の宗教思想の基本となっています。
53歳のとき許されて鎌倉に戻りますが、自己の進言が一受けいれられないのに見切りをつけ身延の山に退き、弟子の養成につとめました。現実社会のなかで活動していた弟子や信徒にも迫害や無常など苦難がおしよせたのですが、それに耐えしのび布教につとめました。
 61歳のとき、常陸の湯で療養するため身延を下山し、途中信徒の池上宗仲邸(今の池上本門寺)に立ちより休息するが容態が思わしくなく、臨終の身にせまるのを感じ、事後を弟子の六老僧に託し、息をひきとりました。このように日蓮聖人は在世中は不遇な一生を終えましたが、高弟の六老僧のたゆまぬ布教により、日蓮宗は庶民のかけがえのない偉大なる宗教となり、今日に至っています。

 

▼文殊菩薩像(もんじゅぼさつぞう)


釈迦像は単独で安置されている場合もありますが、文殊菩薩は普賢菩薩と一対で釈迦如来の脇侍(きょうじ)として安置されているのが通例です。
それほど釈迦如来にとって大切な菩薩ですが、文殊菩薩は仏教上の空から智恵を完全に備えた菩薩であり、諸菩薩を主導する最も重要な菩薩です。昔から「文殊の智恵」という諺(ことわざ)があるように文殊菩薩を信奉すると智恵を授かる菩薩として世に知られています。

 

▼普賢菩薩像(ふげんぼさつぞう)

文殊菩薩とともに釈迦如来の一生補処(ふしょ)(次の生で仏になることが決まっていること)、釈迦如来の脇につねに侍る菩薩で、また、法華経では同経を深く信奉するものに、善知識(善き友真の友人仏教の正しい道理を教え利益を導いてくれる)菩薩として知られています。

 

▼愛染明王像(あいぜんみようおうぞう)
仏教では、愛は貧(むさぼ)り、執着で煩悩とみなされるが、愛の積極的な活用を評価してそれを衆生救済の原動力とみる。愛染明王は自己中心の欲望に染まり、それを充足することではなく、自我を離れ生けるものすべてを対象とし、その救済に向かう欲に染まることをすすめる。このような思想を仏としたのが愛染明王です。

 

▼四天王橡(してんのうぞう)
四天王は、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え仏教を守護する護法神で、東方を持国天(じこくてん)、南方を増長天(ぞうちょうてん)、西方を広目天(こうもくてん)、北方を多聞天(たもんてん)(毘沙門天)(びしゃもんてん)がそれぞれの方角を守護すると云われています。通常、仏寺の須弥壇(しゅみだん)の四方に安置されるのが定則となっています。また、諸芸諸道にすぐれた四人のことを四天王と称しています。

 

▼不動明王像(ふどうみょうおう)
不動明王は、古来から不動尊といわれていますが、明王という尊格分類から明らかなように仏教特有の尊格で、衆生を救うことと、死者の回向を第一にあげられるとともに、修験道の中心仏の地位を占め、厳父のごとき威大なる力から、庶民信仰の一翼を形成するに至りました。
 不動信仰の拡大に伴い、その功徳、御利益(ごりやく)を伝える霊験あらたかな説話が多く、明王諸尊の中でも特に信仰のある明王として世に知られています。

 

▼観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)
慈悲、救難を特色とした菩薩で、妙法蓮華経には観世音と共に(観音)なる語訳が用いられていることから、観音は観世音の略称と考えられる。この観世音(観音)の由来に関して妙法蓮華経菩薩普門品には、「若し無量百千万億の衆生ありて、諸々の苦悩を受けこの観世音菩薩を間きて一心に名を称えうれば、観世音菩薩は即時にその音声を観て、皆解脱を得しむ」とある。このように慈悲救難を一念とした菩薩として広く崇(あが)められています。

 

▼法輪扇額(ほうりんへんがく)
本堂の中央正面に、法輪扇額が掲げられています。この扇額の中央に家紋のような図がありますが、これは古代インドの円盤形の武器で支配地域を意味し、これを釈尊の説いた法、つまり仏の教えが威光をもって人から人へ遥かに広まることを論えたものと云われています。これを法輪、即ち仏の教えを説く象徴として、本堂の中央に安置されています。